髙杉大使の広島県竹原市訪問

令和6年3月8日

   3月4日、髙杉大使は、用務帰国の機会を利用して、今榮敏彦広島県竹原市長を訪問し、明年に、日本人コロンビア移住110周年を迎えるバランキージャの日系社会について説明しつつ、コロンビアのバランキージャ市及びウシアクリ市と竹原市との間の交流活性化の方策について意見交換を行いました。

 バランキージャは、カリブ海に面した人口132万人を擁するコロンビア第4の都市で、バランキージャの日系社会は、1915年(大正5年)にコロンビアへの最初の日本人移住者となった水野小治郎氏が同市近郊のウシアクリに移住したことが嚆矢となっており、これは1929年に始まったコロンビアへの集団移住に先立つものです。

 当時、薬効があることで評判のウシアクリの水を求めて同地を訪れた水野小治郎氏は、ウシアクリの水により病気が快癒したことから、そのまま同地に定住、広島県竹原の同郷の人々も呼び寄せ、その後、1930年までに水野氏を含め13名の日本人がウシアクリ(その後、バランキージャ)に移住しました。現在では、6世まで780名の子孫がコロンビア第2の日系社会を構成しています。(写真は、水野小治郎氏のひ孫に当たるラミロ・ロペス・ミズノ・コロンビア日本友好協会会長からの贈呈品であるウシアクリ市特産のパルマ・デ・イラカ(イラカ椰子)を使った民芸品です。)

 バランキージャの日系人は、父祖の地である広島県竹原市に大きな愛着を抱いており、ウシアクリ市には、同地の日系人が竹原市に敬意を表して設立した「タケハラ・ハウス」という、鳥居がある日本的スペースもあります。

 今栄市長からは、明年の移住110周年に向け、バランキージャ日系社会との今後の交流に期待が示されました。